Hola!
今アメリカだけでなく全世界で、歴史的な人種差別デモが起こっていますね。
私もアメリカでの黒人差別の歴史など知らない事も多かったため、今回の一件をきっかけに、
差別の背景や意識変革の必要性を改めて感じる事が出来ました。
日本でも千人規模のデモが行われていますが、ニュースでも日常会話でも日本での人種差別について
あまり積極的には議論されていないように感じます。
皆さんの周りではいかがでしょうか?
今回は、差別について何も考えていなかった私が国際結婚を経て自覚した日本の差別について書きたいと思います。
日本にとって差別は対岸の火事?
私は旦那と知り合うまで、海外旅行はアジア圏のみ、もちろん海外に住んだ事はなく、
他言語とは無縁という完全日本コミュニティーな生活を送っていました。
差別と言って連想するのは、小学校の時にブラジル人と日本人のハーフの子がいじめられていた事、
アメリカに留学した友達がイエローであるからという理由で侮辱されたというエピソード。
小学生の記憶は薄れ、留学の話は日本と無縁の話であると感じていた私は、
大学生になっても差別について特に意識する事なく生きてきました。
しかし旦那と付き合ってから、別の視点を持つことになりました。
二人で歩いていると、周囲の人々からこれまでに感じたことのない視線を感じるようになりました。
英語で接客されるようになりました。
旦那が流暢な日本語で店員に話しかけても、無言で立ち去り、英語が話せる担当者を探されました。
外見が日本人ではないだけで、テロ対策のため警察に声を掛けられる事も知りました。
日本人が褒め言葉だと思って言う「鼻高いね!」「掘り深いね!」などは時に相手のコンプレックスとなる事を知りました。
「外国人」だからという理由で賃貸物件を20件断られた人がいる事を知りました。
このような経験・反応は、日本に特徴的な差別と言えるのではないでしょうか。
私の経験から、日本人の差別には下記のような傾向があるのではないかと考えました。
日本の差別における特徴?
⑴ 相手を傷つけようと思って言っている訳ではない事が多い
⑵ 見た目の先入観でコミュニケーションが変わる
⑶ 諸外国について知らない事が多い(日本の価値観で判断)
⑷ 見た目の違いに過度に反応してしまい、避けがち
もちろん、言語対応1つを取っても様々な意見があります。
日本語で接客されても理解できず困るという意見も聞いた事がありますし、確率的に英語なら分かってもらえる可能性が高いという意見もあると思います。
ただ私は、それをあからさまに見た目で判断してしまうのは、人を傷つけることに繋がると思っています。
例えば、あるテレビ番組で外国人にインタビューをするという企画があり、街頭で見た目が日本人ではない人に話しかけていました。
”Hello!”と話しかけたところ困惑気味にHelloと返答していましたが、話を進めるとその人は日本で生まれ日本国籍を持つ日本人でした。
もしこの人が自分の子供だったらどう感じるでしょうか。
私の子供が、見た目が日本人に見えなかったとして、生まれた国で生涯外国人として扱われるとしたらとても悲しいです。
本人はもっと悲しく、悩んでしまうはずです。
海外で全くこのような事がない訳ではもちろんありませんし、私もヨーロッパで「ニイハオ!」と言われることもあります。
しかし日本と違うのは、それが明らかに失礼な態度である事が共通認識としてあるという事です。
日本では、”外国人”がお店に来たら聞きもせず英語のマニュアルを渡し、英語で挨拶するような研修が組まれているような気がしてなりません。。
見た目のバイアス(偏見)をなくそう!
さて、差別について分かったような風に書いてきましたが、私自身も3年程前までは何も考えていない、見た目で「外国人」を判断する人間でした。
私の偏見はひどいもので、電車に乗っているアジア系以外の人はみんな観光客に見えていました。
まだまだ「日本」と「その他」という考えが根強いため、今でも時々何が失礼に当たるのか、何が差別なのか分からない事も多いです。
*「外国人」「国際結婚」といった言葉もこの概念を代表していますよね!(欧米ではあまり使わない表現らしい、みんな同じ人間と結婚)
しかし、例え知らない事が多くても、今この瞬間から出来ることは【見た目のバイアス】を意識することではないでしょうか。
いきなり偏見を全てなくそうとするのは難しいかもしれません。
でも【何を見た目から判断してしまっているのか】を考えるだけでも、日本の人種差別に対する大きな進歩ではないでしょうか。
私は見た目から出生地を予想してしまう癖が本当に抜けず、未だに毎日がバイアスとの戦いの日々です。
今後出来るだけ人を傷つける事のないよう、色々な国について知り、色々な人と関わっていけたらと願います。
*Gumi*